「ルーブル美術館展 肖像芸術-人は人をどう表現してきたか」
ルーブル美術館展行ってきました。
今回は肖像芸術ということで、ルーブル美術館の肖像作品が歴史やジャンルなどに分けられて展示されていました。
説明によりますと、
「3000年以上も前の古代メソポタミアの彫像や古代エジプトのマスクから19世紀ヨーロッパの絵画・彫刻まで、きわめて広範にわたる時代・地域の作品を対象としながら、肖像が担ってきた社会的役割や表現上の特質を浮き彫りにします。
身近でありながら、奥深い肖像芸術の魅力に迫る本格的な展覧会です。」
ということだそうです。
肖像の意味やその変化を見られるような構成になっています。
一応、書いておきますと、「肖像とは、人の姿や顔を写した絵・写真・彫刻などの像」のことです。
宗教的意味としての肖像
ルーブル美術館展は、最初は、太古の墓に作られたレリーフなど、宗教的意味合いものの展示から始まっていました。
人間よりも強い何か、神などを崇拝し、それを肖像として形にする。
また、昔は死というものも強い力で、それを乗り越えるために死者の記憶として肖像が使われていたようです。
太古の肖像は、生きている人間というより、形のない神や死というものを残すためのものだったんですね。
権力者の肖像
歴史が進むと、人の文化に階級ができてきます。
それにより、権力者に力が集中するという時代がやってきました。
そこからアレキサンダー大王など権力者の肖像へと変わっていったようです。
ナポレオンなどは、自分の自画像を書かせる際、権力の象徴となるように表現を厳しくチェックしたということもあったようです。
費用と技術の必要な肖像制作は、お金を持っている特権階級の人にしかできない行為であったのでしょう。
そして、肖像を装飾し、自分の力を誇示したんですね。
民間に広がる肖像
生活における様々な技術が向上するにつれ、豊かさというものは民間に広がっていきます。
上流階級のみではなく、商人など経済的に豊かな人々にまで自分を肖像として残す経済力が出てきました。
それにより、一般生活をしている人々の肖像画などが描かれるようになったようです。
それでも、芸術というのはやはりお金のかかるもので、裕福な人の特権だったみたいです。
作家個人の肖像制作
時代はさらに進み、豊かさも商人だけではなく、一般の人達にも広がってきます。
絵の具や道具類も一般の人たちが手に入れやすくなっていくのでしょう。
作家は、裕福な人たちを描くことによってお金を得るという時代は終え、画家個人が描きたいものを描ける時代がやってきます。
それにより肖像は力を持つ者達だけがモデルではなく、一般の人たちをモデルにしたものが増えてきます。
おそらく、現在がその時代なのでしょう。
今は、作家が描きたいものを描ける、作りたいものを作れる時代になったということですね。
ですが、肖像が氾濫した現代は、肖像権というものもできました。
昔は、自分の肖像があるというのは、力の象徴だったはずなのですが、時代とともに変わるんですね。
時代とともに変わっていくアート、芸術
今回のルーブル美術館展で、肖像というジャンルを通して、人々が芸術などを使ってどのように力を表現していたかがわかります。
力というのは神などの自然の力に対する崇拝であったり、または世界を制した権力者に対する崇拝であったり、権力者自身が自分の力を誇示するために使ったりと、アートというよりは表現技術として芸術を使っていたということなんですね。
これが時間が経っていくにつれ、美術などの表現技術は権力者のみが有するものではなく、個人が有するものとなり、各芸術家たちが自分が描きたい対象を自由に表現するようになってきました。
そうなると権力を象徴するための誇張表現などではなく、日常的の生活に密着した自然な形が表現されるようになり、人々の顔も柔らかく描かれてるように感じます。
芸術というものがなにかの形を表現する技術である以上、その時代または経済状況によって使われ方が変わってきたということなのですね。
それを今回のルーブル美術館展に行って改めて感じることができました。
今回の注目した点
さて、salon aimatsudaとしての今回の注目点は、芸術とともに、ファッションという視点でした。
有力者たちが、力を誇示するために身に着けている高価な装飾品の数々。
それを高価なものだとわからせるための精密な表現。
着ている服のきらびやかさと生地の厚み。
生地の厚みは、豊かさの象徴でもありましたから。
当時の最高のファッションが、最高技術の緻密さで描かれているんです。
権力や財力といった今となっては好ましくない言葉が力を持っていた時代の作品に芸術と服飾ともに最高という点で、見ごたえを感じました。
ですが、今、アートは個人の感性の時代のようです。
自由に表現し、自由に感じる、自由の時代。
今回のルーブル美術館展を観て、現代アートの自由さとは人々が裕福さ得たことによって生まれたもので、平等という平和の一つの形であって、それは幸せなことだなと感じました。